メンタル

無職の生きづらさがマジで尋常じゃない件

今現在、無職状態の人は分かると思いますが、無職って尋常じゃなくつらいですよね。

無職の心の内を例えるなら、事件を起こして全国指名手配犯になって周りの目を常に気にしながら日本中を必死に逃げ回っている犯人のような、そんなところかもしれません。

この記事では、今現在無職状態の人や過去に無職を経験したことがある人に向けて、無職の尋常じゃない生きづらさあるあるをシェアして、ひとりじゃないんだと感じてもらえればと思い書きました。

最後にぼくのおばあちゃんが無職のぼくにくれたが金言があります。

そちらだけでもぜひ読んでください。目次の10番です。

不審者に注意!の看板にビクッとする

これは特に無職の男性陣に多いと思います。

無職状態のときはヒゲもそらず髪形や服装にも気を配ることをしなくなるので、周りから見ればどっからどう見ても正真正銘の不審者です。

でもやっぱりこういう看板を目にすると、気持ちが沈んじゃいますよね。

「いっそ不審者注意の看板と一緒に自撮りをしてSNSにあげてバズらせてやろうか!!」なんてつまらない冗談が思い浮かぶ隙もなくその場を早歩きで去るのもあるあるじゃないでしょうか。

男はつらいよ。無職はもっとつらいよ。

異性を視界に入れるのが申し訳なくなる

無職は同年代や若い異性を視界に入れるのも申し訳なくなります。

ジロジロ見たいという気持ちはあるのですが(シンプルにキモイ。シンキモ)、無職の視線が今を生きる魅力的な異性の素敵な時間を汚すべきではないとまで考えてしまいます。

マジメな頑張り屋さんが無職になると、やはりどうしても卑屈になってしまう傾向があると思います。

ここまで卑屈になる必要はないと思いますが、やはり日本では働いていない人に対する視線はかなり鋭いので、「自分はよくやっている」と自分自身をいたわることさえ難しい時もあります。

無職でも生きているだけでほんとに、ほんとに、ほんとにえらいです!

日本全国を見渡してみても、これほどつらい状況やどうしようもないほどの孤独感、世間の風当たりと戦っている人はそう多くないと思います。

無職のぼくたちはほんとにすごいです!!!

ガチでおかしくなる瀬戸際まで行ってしまう

ふと「あ、今ガチでおかしくなる瀬戸際にいるわ」と気付くときがあります。

ぼくもその瀬戸際まで行ったときなんとかこちら側に戻れたのですが、あちら側に行ってしまっていたらと考えるとぞっとします。

そんなギリギリの瀬戸際にいても一人で何とかしなければならない時があります。

心と体は付いて来ていないのに、気持ちだけで何とかその苦しい状況を乗り越える、そんな無職はもう無職ではないです。

正真正銘の勇者です。

本当のどん底を知る

「あぁ、これが本当のどん底か…」と、本当のどん底の景色を目の当たりにします。

本当のどん底まで行ったことがある人はかなり少ないと思います。

そんなどん底を経験した人は、人としてもう一段階深くなるんじゃないかと思います。

実家での肩身の狭さがエグイ

実家に心休まる場所は無職にはありません。

実家でぼくは無職の分際でどんな顔をしてご飯を食べればよいのかもわからなくなって、美味しくご飯を頂くのも難しくなりました。

自室にいても、働いていないという劣等感が薄れることはなく、心が休まるのは人々が眠りにつくくらいの時間から数時間、なんて人もいると思います。

たまには一人で外食をしたり、ネットカフェでゆっくりしたり、バスに乗って少し遠出したり、心が落ち着くことやそういった場所を探して見つけてください。

外に出たら逃走中のスタート

家から外に出ると今度は、お隣さん、昔の知り合い、友だちの皮をかぶったハンターに姿を見られてはいけない、という逃走中が始まります。

ただ、見つかってしまっても向こうはなぜか気付かないふりをしてくれることも多々あります。

気付かないというより、無職によりやつれた顔が私たちを「無職の人」に変身させてくれてるのかもしれません。

無職も悪いことばかりじゃないですね(笑)

就活という言葉だけでも就活アレルギーが出る

ぼくは就活が始まる大学3年の冬ごろからストレスで笑っちゃうくらいにハゲが進行しました。

ひどい時にはМ字ハゲが頭頂部に到達しそうになるくらいまでハゲ散らかしていました。

そのころからハゲ予防のお薬を飲むようになって今はそれほど気にならなくなりましたが、当時は相当なストレスがぼくの心の平穏と髪を奪っていました。

働かなければ人権はないに等しいこの現代日本で、無職という大きな十字架を抱えながらちゃんと生きているぼくたちは、100年後の教科者に名前が載っていても不思議ではないくらいのことを今やってのけているのだと思います。

今日という日をちゃんとと生きているぼくたちに大きな拍手を送ります。

友達が完全にいなくなる

友達に無職ということを知られたくなくて連絡を取らなくなるといつの間にか友達は完全にいなくなってしまいます。

それでも気にかけてくれる友達はいますが、やはり徐々に疎遠になっていってしまったり、お互いに踏み込まないようになり、話をする機会が減っていくことが多い気がします。

それでも頑張っているぼくたち無職は全員国民栄誉賞を贈呈されるべきだと思います!

そもそも「勤労は日本国民の義務」って、どうなのよ

そもそも日本の国民の三大義務は、教育の義務、納税の義務、そして勤労の義務ということに納得がいきません。

人生80年、90年の時代に少し働いていない時期があっても問題ないはずなのに、国民の『義務』とまで言い切ってしまうのはどうなんだ?

働くことは義務→休むことは悪→休めない→過労死、という流れはセットになっているはずなのに。

働くとは?

あと、働く、働かないってイチかゼロじゃないですよね。

無職でも働けるときや働きたいときは働けばいいし、会社に所属せず稼ぐ手段もあります。

会社員も毎日働かなくても、週数回に勤務を減らし、多くを求めなければ十分な暮らしができるでしょう。

海外では高校や大学を卒業した後、ギャップイヤーといわれる休みを取って、旅に出たり、少し休んだり、好きなことにチャレンジしたりする風潮があると聞きます。

諸説ありますが、縄文時代は労働時間が1日3時間ほどだったともいわれています。

現代の日本の仕事観は、時代的にも、世界的にも、かなり狭く偏った価値観の上にあるものだと思います。

無職はつらい。でもほんとに、ほんとにえらい。

無職の経験がある人は分かると思うのですが、無職のつらさは想像のはるか上を行きます。

そんなつらい日々を耐えて、考えて、試行錯誤して頑張っている人はほんとにすごいんです。

自分ではわからないかもしれませんが、ほんとにすごいです。

でも頑張る余裕もないときは、絵本を読むなり、外食をするなり、ウーバーイーツの配達をするなり、低山登山をするなり、タイミーで単発バイトをするなり、ひとりごとを録音してみるなり、映画館に行くなり、少し家から離れたホテルに泊まるなり、

日々に少し変化をつけることで前に進むきっかけにつながったりします。

ぼくの祖母はぼくに詩のようなものを書いてくれました。

『長い人生には、どんなに避けようとしても、どうしても通らなければならない道がある。

そんな時その道をただ黙って歩き、愚痴や弱音を吐かずに、黙って、ただ黙って涙を見せない、そんなとき
人間としての命のが深くなる』

無職という避けては通れない道を通ったぼくたちにはしっかりとした根が張り、やがてはきれいな花を咲かせる、そんな未来を描いて一緒にゆっくり歩いていきましょう。